雨が降った後や夕方になると、よく砂場の園庭に大きなカエルのお友だちが現れることがあります。ヒキガエルなのか、アマガエルなのかは定かではありませんが、ともかく気持ちよさそうに佇んでいるのを、よく子どもたちが発見してくれます。
なかなかカエルを積極的に捕まえられる子どもや保育者はいませんので、私が捕まえて、子どもに見せてあげることがあります。
子どもたちは、「気持ち悪いー!」とか「なんかぶにょぶにょだ!」と素直に反応します。このカエルを自分で持ってみたいというので、何人かの子に実際に手渡してみました。すると……、「なんかドクドクって動いている」とか「ヌメヌメしている」、「なんか冷たくて気持ちいい・・・」、中には「眼がきれい」と言った子もおり、カエルに触る前とは異なる、いろいろな言葉が返ってきました。
自分で触ることによって、カエルに対する認識が変わってきたのです。幼児くらいになると、だいたい周囲の人の反応から、「カエルは気持ち悪いもの」と学んでいます。カエルを見たことも触ったこともなければ、まるで危険生物を扱うかのように見る子もいます。しかし実際に自分で触ってみると、鼓動を感じたり、少しひんやりした部分が心地よかったり、眼がきれいであったりと、違った発見をするのです。
このように体験しながら五感を働かせ、触り、匂いを感じ、時には痛い思いをしながら、そのものを知っていく、こうした学びこそが、本来の学びとして大事であり、人生を豊かにするものだと思います。
逆に、直接体験無しに「言葉だけで」理解した気になることには、注意が必要だと感じています。
20代の頃、1ヶ月余りインドのカンジス川のほとりに滞在していたことがあります。その時に感じた時間の流れや、神々が住まう場所として、現地の人々がガンジス川を聖なる河としていることと、知識として「インドは時間の流れが違うんだよ、カンジス川は聖なる河だよ」と知っていることとの間には、大きな隔たりがあります。
私たちが使う言葉は大切なものですが、体験に紐づかない知識として、意味だけを覚えてしまう危うさがあります。だからこそ子どもたちには、「○○式」のように、ただたくさんの言葉を教えこむのではなくて、子どもの体験に紐づけながら、丁寧に言葉を添えてほしいのです。
例えば、服を着る時には、「ちょっと寒くなってきたから、服を着る?」と子どもに聞いて、「服を着たから、寒くないね」などと言葉を添えてあげてください。そうすれば「寒いと服を着ればいいのかな。服を着るとあったかくなるんだな」のように、体験を通して因果関係を理解していきます。
「昨日、お父さん、走って転んだから、歩くのが大変なんだ」と言うと、子どもは「お父さん、転んだから足が痛い?」と原因から推測して心配してくれるようにもなります。このようにして身近な物事には、原因と結果があることをわかり始めます。
続けて、「お父さん、足が痛いから、ちょっと手伝ってくれる?」とやり取りを繰り返すことで、言葉を使うことで、物事のつながりや、因果を上手に説明できること、それがわかるとうれしいということを体験的に学んでいきます。そしてそれらが内面化していくことで、思考力が育っていきます。
子どもとのやり取りでは、一方的に言葉を教え、覚えさせるのではなく、その子が体験している世界に言葉を丁寧に添えるということが何より大切なのです。(園長 福島 正晃)