日本の保育界に非常に大きな影響を与えた人の一人に倉橋惣三(1882~1955)がいます。東京女子高等師範学校附属幼稚園(現在のお茶の水女子大学附属幼稚園)で長年子どもと関わり、そうした保育実践を通して保育理論を構築してきた人物です。
子どもの自発性を大切にし、子どもの心もちに共感することが子どもへの深い理解につながることを訴えており、その保育理論は現在においても脈々と受け継がれています。
例えば倉橋惣三の「育ての心」という本の『廊下で』という章にはこんな一節があります。
「泣いている子がいる。涙を拭いてやる。泣いてはいけないという。なぜ泣くのかと尋ねる。弱虫ねえという。・・・随分いろいろなことはいいもし、してやりもするが、ただ一つしてやらないことがある。泣かずにはいられない心もちへの共感である。お世話になる先生、お手数をかける先生、それは有り難い先生である。しかし有り難い先生よりも、もっとほしいのはうれしい先生である。そのうれしい先生はその時々の心もちに共感してくれる先生である」
倉橋は、泣いている子どもがいたときに、「泣かずにはいられない心もちへの共感」が大切であり、その心もちに共感してくれる先生が、「うれしい先生」なのだと言います。
「できる・できない」というような到達度的な見方や「上手い・下手」というような優劣を競うような視点、はたまた集団に適応できたかどうかというようなまなざしからは、子どもの心もちに共感することはできません。
私たちは、ともすると目に見える子どもの行動ばかりに注目してしまい、その背後にある「心もち」を忘れてしまうことがあります。しかし、それでは子どもへの見方が固定化されてしまい、その子に対しての理解は遠のくばかりです。行動の背後にある「心もち」に共感することは、保育者は言うまでもありませんが保護者も大切にしてほしいことだと思います。
明日にはいよいよ「運動会」が行われます。「できた・できない」とか「上手い・下手」ではなく、一度しか体験できない子どもの「心もち」に寄り添い、共感してあげてください。
運動会の練習を一度もしたことのない会場でたくさんの大人に囲まれながらも、子どもたちは「頑張っている姿や泣いている姿」、「積極的な参加や少しの参加」など、さまざまな姿を見せてくれると思います。そうしたお子さんの「心もち」を丸ごと受け止め寄り添い、これに応じてもらえることが、子どもにとっては一番幸せなのではないでしょうか。